世界中の将棋ファンのみなさんこんにちは!編集部のさめはだです。
今回は振り飛車の人気戦法である『四間飛車』について基本定跡をまとめました!しっかりと定跡を覚えていくのである!
四間飛車の基本
【四間飛車の基本】人気のノーマル四間飛車
四間飛車はアマチュアに人気のある戦法です。駒組みの分かりやすさが人気の理由で、美濃囲いの堅陣で戦うことができるので安心感があります。
【四間飛車の基本】居飛車穴熊対策が課題
角道を止める四間飛車は居飛車穴熊が天敵と言われていますが、あくまでプロレベルの話なのでそこまで気にする必要はありません!藤井システムのような駒組みは有力ですが難しく、普通に穴熊に組ませて戦う指し方でも勝ち目は十分にあります。
【四間飛車の基本】居飛車の急戦策への対策
四間飛車に対しては居飛車穴熊が最も多く採用されており、最有力と考えられています。とは言え、急戦系の作戦も少なからず指されているので対策は万全にしておく必要があります。
【四間飛車の基本】四間飛車穴熊も有力
角道を止めるノーマル四間飛車の囲いは美濃囲いが基本ですが、穴熊に組むのも有力です。堅さだけで考えれば、美濃囲いよりも穴熊の方が堅い囲いです。その反面、囲いの桂馬が攻めに参加しないため攻撃力が低く、居飛車穴熊の弱点である端攻めをできないマイナス面もあります。
四間飛車の歴史
【四間飛車の歴史(0)】江戸時代初期の四間飛車(1607年)
四間飛車の歴史は古く、江戸時代の初期にはすでに戦法として成立していました。図は1607年の☗初代大橋宗桂(53歳)ー☖本因坊算砂(49歳)の将棋で、後手の算砂が四間飛車を採用しています。この時代はまだ振り飛車の美濃囲いが開発されておらず、四間飛車の囲いは図のようなものが一般的だったようです。
【四間飛車の歴史(1)】平手戦での美濃囲いの登場(1821年)
図は1821年の御城将棋☗伊藤看理ー☖大橋柳雪の一戦で、平手戦で美濃囲いが初めて現れた将棋として伝わる(駒落ち戦では1765年に登場)。この時代は銀を三段目に活用する考え方が一般的で、美濃囲いのような守備的な使い方は主流ではありませんでした。
【四間飛車の歴史(2)】戦後の振り飛車の創始者(1946年)
戦後の振り飛車の歴史は、大野源一九段から始まったと言ってよい。江戸時代中期以降、完全に廃れていた振り飛車戦法を復活させた功績は大野九段によるもの。独特の大野流三間飛車を得意とし、戦後の将棋界で振り飛車を主軸として活躍した最初の棋士として知られる。
【四間飛車の歴史(3)】主流の5筋位取り戦法(1960年代〜)
1960年代から1970年代に掛けて、対四間飛車では5筋位取り戦法が主流でした。中央の位を押さえて、後手の大駒のさばきを封じ込めるのが狙いです。
【四間飛車の歴史(4)】玉頭位取り戦法(1960年代)
5筋位取り戦法と同じ時期に、玉頭位取り戦法も主流の作戦でした。☗7五歩と早めに7筋の位を取るのがポイントで、美濃囲いの桂馬の活用を押さえて駒組みを牽制します。☗7七角〜☗8八玉と入城し、銀立ち矢倉に組み上がれば完成です。
【四間飛車の歴史(5)】山田定跡の確立(1965年)
【四間飛車の歴史(6)】大山流☗7八金型四間飛車()
大山康晴十五世名人の四間飛車は、左金を玉と反対側に上がる手がよく見られる。自陣の囲いは金銀二枚の片美濃囲いで済ませて、金の守りで居飛車の急戦を受け止める作戦であった。
【四間飛車の歴史(7)】居飛車穴熊の登場(1968年)
1968年の名人戦☗升田幸三九段ー☖大山康晴名人の将棋。現代では当たり前の様に指される居飛車穴熊ですが、当時の評価はアマチュアが使う戦法という位置付け。時代を先取り
【四間飛車の歴史(8)】天守閣美濃囲いの流行(1980年代)
玉を三段目に囲うのが天守閣美濃囲いの特徴で、普通の美濃囲いに比べて横からの攻め合いに強い。さらに、右銀を長い手数掛けて自玉の側に配置することで、通常の美濃囲いよりも遥かに堅い囲いになります。
【四間飛車の歴史(9)】居飛車穴熊の流行(1970年代後半〜)
1970年代後半頃になると、四間飛車に対して居飛車穴熊に組む作戦が流行し始めます。流行の発端は田中寅彦九段が多用したことによるもので、周りの棋士も徐々に居飛車穴熊の優秀性に気づき始めます。穴熊は江戸時代からある囲いで、当時は岩屋囲いという名称だったらしい。
【四間飛車の歴史(10)】藤井システム天守閣美濃ver.(1993年)
振り飛車の美濃囲いと同等以上の堅陣でありながら、横からの攻め合いに強い天守閣美濃囲い。ところが、天守閣美濃囲いの弱点である玉頭を絡めて攻める手法が確立されたことで採用数が激減します。振り飛車側の工夫は☗3九玉型+☗4五歩型がポイント。創案者は藤井猛九段で、藤井システム天守閣美濃バージョンと呼ばれる。
【四間飛車の歴史(11)】藤井システム1号局(1995年)
図は1995年12月22日の順位戦☗藤井猛六段ー☖井上慶太六段の将棋。当時は居飛車穴熊に組ませて戦うのが一般的でしたが、穴熊に組ませる前に叩いてしまおうという思想が現れました。藤井猛九段創案の『藤井システム』の誕生は、将棋界全体に衝撃を与えました。
【四間飛車の歴史(12)】ミレニアム囲いの登場(1998年)
1998年に藤井システム対策として誕生したミレニアム囲い。桂馬のいる位置に玉を収納することで、藤井システムの攻撃の主軸となる角のライン、端攻めから玉を避けている意味がある。金銀四枚でガチガチに固めまくるのが特徴で、穴熊と同等の強度を誇る。2000年頃に流行したことから、ミレニアム囲いと言うテキトーな名称があてられた。
【四間飛車の歴史(13)】藤井システム全盛期(2000年〜2010年頃)
2000年代の四間飛車事情は、藤井システムをめぐる駆け引きの時代と言えます。居飛車側は、藤井システムの駒組みに対して穴熊に組めるのかが課題。藤井システム側も、急戦にシフトされた時に対応し切れるかが最大の課題でした。
【四間飛車の歴史(14)】異彩を放つ広瀬流振り飛車穴熊(2010年)
2010年には四間飛車穴熊を駆使して、23歳の若きタイトルホルダー広瀬章人新王位が誕生しました。王位戦七番勝負では、千日手局を含めて8局中6局で振り飛車穴熊を採用。居飛車穴熊に対して勝率が悪い振り飛車穴熊を主力戦法として、王位獲得の原動力となりました。
【四間飛車の歴史(15)】角交換型四間飛車の流行(2012年)
四間飛車藤井システムの次に流行したのが角交換四間飛車で、創始者はこちらも藤井猛九段です。2012年の王位戦七番勝負では、千日手局を含めて6局中4局で角交換四間飛車を採用。振り飛車の天敵である居飛車穴熊を牽制できるのがこの戦法の強みで、振り飛車党を中心に爆発的な流行を迎える。
【四間飛車の歴史(16)】エルモ囲い急戦の登場(2018年)
2018年に将棋界に登場したエルモ囲い急戦。従来の舟囲いよりも遥かに堅いのが強みで、昔からある☖6四銀急戦と組み合わせて戦う。後手の陣形が今までにない新しい形で、将棋ソフトのelmoが好んで指すことからエルモ囲いと呼ばれる。プロ棋士では大橋貴洸七段が多用したことで知られる。
【四間飛車の歴史(17)】振り飛車ミレニアムの誕生(2018年)
2018年頃から居飛車のミレニアムが再び流行を見せる中、振り飛車でもミレニアムを採用する将棋が現れました。公式戦で最初に指したのは新手メーカーとして知られる都成竜馬七段です。美濃囲いよりも堅く、穴熊よりも攻撃力がある。プロ棋士では久保利明九段や西田拓也七段が多用しています。
【四間飛車の歴史(18)】AI時代の金無双急戦の登場(2019年)
エルモ囲い急戦と時期を同じくして現れたのが、金無双急戦と呼ばれる作戦です。エルモ囲い急戦と同様に大橋貴洸七段が流行らせた作戦です。従来の船囲い急戦と比べて角交換に強いのが特徴で、☖8八角成を☗同銀と形良く取り返すことができるのが強み。
四間飛車の主要定跡
昭和の定跡
【昭和の定跡(1)】5筋位取り戦法
四間飛車に対する5筋位取り戦法は、昭和の時代によく指されていた古い定跡です。左美濃と居飛車穴熊がまだ普及していなかった昭和30年代から40年代に掛けては、この5筋位取り戦法と玉頭位取り戦法が対四間飛車の二大戦法でした。
【昭和の定跡(2)】玉頭位取り戦法
玉頭位取り戦法は、5筋位取り戦法と並ぶ昭和中期の主要定跡のひとつです。5筋位取り戦法と比べて、こちらは☗7五歩〜☗7六銀と7筋の位を押さえる作戦です。最終的には☗7七角〜☗8八玉〜☗7八金〜☗6七金右〜☗8六歩と、銀立ち矢倉に組み上げるのが理想形になります。
【昭和の定跡(3)】山田定跡
山田道美九段の研究によって開発された、対振り飛車の急戦策が山田定跡です。居飛車対振り飛車の対抗系で、全ての急戦策の基礎となる定跡でもある。☗3五歩☖同歩と突き捨ててから☗4六銀と繰り出すのがスピード感のある仕掛けで、位取り系の将棋が主流の時代においては革新的な発明でした。
【昭和の定跡(4)】棒銀戦法
四間飛車に対する代表的な急戦策の棒銀戦法。振り飛車の弱点である角頭を狙う破壊力のある急戦で、振り飛車の飛車角をさばかせないように抑え込めるかがカギとなる。昭和時代には中原誠十六世名人や加藤一二三九段が得意とされていた作戦で、実戦例も多い。
【昭和の定跡(5)】☗4五歩早仕掛け
☗4五歩早仕掛けと呼ばれる急戦策で、四間飛車に対する有力な急戦で昭和からある定跡。居飛車穴熊の登場以降は採用率が低下していたが、2000年に新手が出て研究が再過熱。羽生善治ー藤井猛のタイトル戦のカードでも登場している。
【昭和の定跡(6)】☗4六銀左急戦(斜め棒銀)
四間飛車に対する急戦策のひとつで、斜め棒銀と呼ばれる急戦。1990年代から2000年代中頃までよく指されていた定跡で、最終盤まで定跡化されている。急戦系の作戦全般に言えることですが、船囲いがヨワヨワなので一手のミスが命取りになる。
【昭和の定跡(7)】☗4六銀右急戦
☗4六銀右急戦は、船囲いから右銀を繰り出していくシンプルな急戦。船囲いの耐久力があまりにも低いので、仕掛けの段階でかなりポイントを挙げないと実戦的には勝ちづらい。振り飛車側が藤井システムの駒組みでは類型が多い作戦で、お互いに薄い玉型での戦いになる。
【昭和の定跡(8)】鷺宮定跡
青野照市九段創案の、対四間飛車用の袖飛車急戦策。従来からある山田定跡に改良を加えて開発した定跡で、鷺宮(さぎのみや)定跡という呼び名がある。米長邦雄永世棋聖がタイトル戦で連採して脚光を浴びたという経緯があり、両者の住まいがあった東京鷺宮にちなんでこの名が付いた。
【昭和の定跡(9)】右四間飛車
右四間飛車は有力な振り飛車対策のひとつで、飛車角銀桂を目一杯活用した破壊力抜群の攻め筋が魅力の作戦です。ネット将棋などで遭遇するとかなりイヤな作戦ですが、攻め筋が単調な印象があるためプロには人気がないと言う残念な一面もあります。居飛車の囲いは穴熊、天守閣美濃、エルモ囲いなどのパターンもある。
天守閣美濃の定跡
天守閣美濃囲いは、大正生まれの棋士松浦卓造八段が1960年のA級順位戦で披露したのが始まりです。その後は1980年代に対振り飛車で堅さを重視する思想が広まり、居飛車穴熊と同時期に流行を迎えます。天守閣美濃囲いは右銀の動きがポイントで、①☗4六銀と攻めに使う急戦と、②☗6六銀と守りに使う四枚美濃の二通りに分かれます。
【天守閣美濃の定跡(1)】天守閣美濃+☗4六銀戦法
従来からある☗4六銀急戦と天守閣美濃囲いの堅陣を掛け合わせた作戦。互角のさばき合いは横からの攻め合いに強い居飛車に分がある。
【天守閣美濃の定跡(2)】四枚天守閣美濃囲い
居飛車の天守閣美濃囲いの作戦では、四枚美濃の堅陣に組む指し方が主流です。振り飛車は☖6五歩と☖7一玉がポイントで、天守閣美濃に対しての最強の布陣です。☖6五歩は伸び過ぎになる懸念はありますが、居飛車に☗6六歩〜☗6七金型を許さないための位取り。☖7一玉型で待機しているのも、☖8五歩や☖7五歩の玉頭攻めをした際の反動を考えての位置取りです。
居飛車穴熊の定跡
【居飛車穴熊の定跡(1)】☗6六銀型
【居飛車穴熊の定跡(1)】☗5六銀型
【居飛車穴熊の定跡(1)】☗7八銀型
四間飛車穴熊の定跡
ミレニアムの定跡
藤井システムの定跡
先手藤井システムの基本図(1)旧型
藤井猛九段が独自に研究を積み重ね、開発した作戦が藤井システムです。玉の移動を後回しにして美濃囲いの骨格を作るのが骨子で、居飛車穴熊模様の駒組みに対しては居玉のまま猛攻を仕掛けます。先手藤井システムの基本型はこの①☗1五歩型と、②☗4六歩・☗1六歩型(次図)の2種類があります。
先手藤井システムの基本図(2)新型
こちらは先手藤井システムの新型で、先程の図面と比べると先手の☗1五歩が☗4六歩に代わっています。細かい違いではありますが、端を後回しにして中央の攻撃型を優先させる指し方です。居飛車側からすると、猛攻を覚悟して穴熊を目指すか、急戦にシフトするかの二択になる。
この二つの布陣について噛み砕いて説明を加えると、①旧型は急戦への耐性が○、穴熊への耐性が△。②新型は穴熊への耐性が○、急戦への耐性が△という感じです。これを踏まえて公式戦では、旧型には穴熊が多く、新型には急戦が多いのです。
【藤井システムの定跡(1)】先手藤井システム旧型に居飛車急戦
先手藤井システムの旧型(☗1五歩型)に対しては穴熊を目指す実戦例が多数で、急戦を仕掛ける将棋はかなり少ない。舟囲いの頼りなさに加えて、1筋の位を詰められているマイナスも大きく、互角のさばき合いでは振り飛車に分がある。ということで、この形では居飛車側は穴熊に組む指し方が圧倒的に多い。
【藤井システムの定跡(2)】先手藤井システム旧型に居飛車穴熊
☗1五歩型藤井システムのメインテーマはこちらの図。先手の候補手は、公式戦の登場順に①☗2五桂、②☗5六銀、③☗4七銀の三通り。結論を言ってしまうと①☗2五桂は☖4二角☗4五歩☖5五歩で後手良し。②☗5六銀は☖4五歩で後手良し。③☗4七銀は☖2四歩☗2六歩☖1二香☗2五歩☖1一玉☗2四歩☖2二銀で難解。
【藤井システムの定跡(3)】先手藤井システム新型に居飛車穴熊
新型の藤井システムに対して居飛車側が穴熊を目指すのは、一方的に攻められるのでリスクが大きい。具体的な手順を示すと図で☗2五桂と先攻するのが定跡で、☖2四角に☗4五歩と角のラインを軸に猛攻を仕掛ける。旧型と比べると☗1五歩の一手が☗5六銀に代わっているため、攻めの厚みが違う。
【藤井システムの定跡(4)】先手藤井システム新型に居飛車急戦
居飛車穴熊に対しては理想的な攻撃形から先攻できるこの布陣ですが、急戦にシフトされた時に対応できるかが大きな課題となっています。つまり☖7四歩☗4八玉に☖5五角の仕掛けが難敵で、☗4七金☖7五歩☗同歩☖6四銀の仕掛けは後手が有望という結論になっている。
【後手藤井システムの基本図(1)】☖5二金左・☖3二銀型
後手藤井システムは主に3つの形があり、この図が最もオーソドックスな形。居飛車側は急戦を狙う☗3六歩と穴熊を目指す☗7七角の二択ですが、この形では穴熊を目指す☗7七角が主流。この形は攻めに必要な☖4三銀と☖6四歩が入っていないため、居飛車穴熊に対して攻撃力が低いのが欠点です。
【後手藤井システムの基本図(2)】☖4三銀型
後手藤井システム☖4三銀型は、対居飛車穴熊に対して威力を発揮する布陣です。居飛車が穴熊を目指した時に、☖5二金左を保留している効果で☖6二飛と回ることができるのがこの形の特徴です。故に居飛車が穴熊を目指すのはリスクを背負うため、この形では☗3六歩が主流。後手は急戦に対応仕切れるかが課題。
【後手藤井システムの基本図(3)】藤井九段愛用の☖6四歩型
9筋の端歩を後回しにするこの☖6四歩型は、藤井システムの本家藤井猛九段愛用の布陣。居飛車穴熊に対しては☖7四歩〜☖7三桂と素早く攻撃形を作れるので威力を発揮するのですが、急戦に対応し切れるかが課題となっている。先手は急戦を仕掛ける指し方が主流で、①☗3六歩〜☗5五角と、②☗3六歩〜☗3五歩〜☗4六銀と仕掛ける順がある。
【☖後手藤井システムの定跡(1)】☖5二金・☖3二銀型(旧型)に居飛車穴熊
後手藤井システム☖5二金・☖3二銀型に対しては、☗7七角☖6四歩に一度☗3六歩☖6二玉の交換を入れてから穴熊を目指す順が有力と考えられています。図で☖7一玉や☖4三銀は藤井システムの思想と異なるため、後手は☖8五桂☗8六角☖6五歩と仕掛けますが、そこで穴熊を放棄して☗7八玉と戻る手が定跡となっています。
【☖後手藤井システムの定跡(2)】☖4三銀型(新型)に居飛車急戦
後手藤井システム☖4三銀型に対しては急戦を仕掛けるのが有力です。ここで後手は①☖3五同歩と、②☖3二飛がありますが、結論を述べるとどちらも先手が有望。①☖同歩には☗4六銀☖3六歩☗2六飛☖3二飛☗3五銀と進む。②☖3二飛には☗4六歩☖3五歩☗4五歩と4筋から攻めるのが定跡。
【☖後手藤井システムの定跡(3)】☖6四歩型に☗3五歩急戦
後手藤井システム☖6四歩型には、急戦を仕掛けるのが主流です。☖3五同歩☗4六銀の仕掛けに対して後手は、①☖4五歩と②☖3六歩の二通りの受け方があります。①☖4五歩は☗3三角成☖同桂☗3五銀☖3四歩☗2四歩☖同歩☗3四銀と進むのが定跡。②☖3六歩には☗2六飛☖4五歩☗5五銀☖5四歩☗6四銀と進む。
【☖後手藤井システムの定跡(4)】☖6四歩型に☗5五角急戦
後手藤井システム☖6四歩型に対しては、☗5五角と揺さぶりを掛ける指し方も有力です。ここで後手は☖6三金と受ける手が自然ですが、☗3五歩☖同歩☗4六銀以下戦いになった時に玉の腹が開いているのが危険。図では☖6三銀が最善で、☗3五歩☖同歩☗4六銀☖4五歩☗3三角成☖同桂☗3五銀☖と進みます。
【☖後手藤井システムの定跡(5)】先手☗9六歩型
振り飛車に対して居飛車が9筋の端を受ける形は最近の主流です。居飛車が☗9六歩型で藤井システムを相手にする場合、後手にも☖4三銀の一手が加わり図の局面になることが多い。先手の仕掛けは☗3六歩☖6二玉に☗5五角☖6三銀☗4六銀が基本。不安定な後手陣に比べ、先手は9筋を突いている舟囲いなので少し安心感はある。