みなさんこんにちは、編集部のさめはだです。
将棋には「二歩」や「打ち歩詰め」「行き所のない場所に駒を打つ」など、「禁じ手」のルールがあります。禁じ手を指してしまうと、その時点で即反則負けになります。
「二歩?」初心者がやりがちなミスであって、プロがそんな初歩的な反則をするなんてことはありえない!と思う人もいるでしょうが、公式戦でも年に一度ぐらいの割合で何かしらの反則負けが記録されています。
これまでに公式戦で記録として残っている反則負けは全部で80局ほど。中でも最も多い反則が「二歩」で、全体の約50%を占めているそう。
ちなみに反則トップ3は、1位がダントツで「二歩」、2位が「二手連続で指す」、3位が「角(馬)の筋を間違えて動かす」、4位が「後手番の棋士が先に指す」となっています。
二歩=小林健二九段
2006年の順位戦C級1組☗小林健二九段ー☖小倉久志七段戦
後手の小倉七段の☖5五角に対し、先手の小林健二九段の指し手は「☗9二歩打!」
二歩の反則の多くは「自陣に打った底歩を見落として敵陣に歩を打つ。」あるいはその逆のパターンが多い。
9四に歩がいるのに☗9二歩打とは、極めて珍しい一間飛びの二歩だったので紹介した。
二手連続で指す=神吉宏充五段
☗伊達康夫七段ー☖神吉宏充五段段(1988年3月/棋王戦)
後手の神吉五段が☖4九飛と打った局面。ここで先手番の伊達七段は長考に沈み、そこで指された予想外の一手は...。
「☖3三桂!」
先手伊達七段の手番のはずですが、後手の神吉五段が手を指した。二手指しの反則だ...。
対戦相手である伊達七段の長考に神吉五段は居眠りをしてしまった。「パチン!」という駒音で目覚めたのちに☖3三桂を着手。しかし、駒音はとなりの将棋のもので、実際に伊達七段はまだ考慮中だったという。
後手番の棋士が先に指す=千田翔太七段
☗近藤誠也七段ー☖千田翔太七段戦(2022年12月/順位戦)
午前10時に対局が開始すると、本来後手番であるはずの千田翔太七段が☖8四歩と着手してしまった。対局規定により千田七段は反則負け。千田七段は、「自分が先手番だと勘違いをしていた。」とのこと。
後手番の棋士が先に指す反則は過去にも何度か起こっており、反則の分類上的にはそれほど珍しいケースではない。
王手放置=石田和雄九段
☗石田和雄九段ー☖加藤一二三九段戦(1998年/竜王戦)
後手の加藤九段が☖1七金と王手を掛けた局面。先手はもちろん☗3九玉の一手、と思われたが...。
先手の指し手は「☗2二馬!」
指した瞬間対戦相手の加藤九段が「あれ?」という顔をした。記録係の中尾三段が息を飲んだ...。それで石田九段も反則に気づく。「あ、こっちが先に王手だ!なんてことを。バカバカ、勝ちなんですよ。必勝でしょう。読み切っていたんだ。それなのに...。」
☖1七金に☗3九玉と逃げて、後手は☖3七歩成とする。そこで☗2二馬とすれば勝ち。が石田九段の読み筋。つまり石田九段は、二手先の読み筋を指してしまったのだ。
5七の角を1一に成る=淡路仁茂六段
☗淡路仁茂六段ー☖石田和雄八段戦(1980年/棋聖戦)
先手三間飛車で始まった将棋の終盤戦、後手の石田八段が4九の金を3九に寄った局面。先手の淡路六段は☗1一角成と香車を取ったのだが...。
淡路六段の指し手は「☗1一角右成?」
うーん。6六の角を動かすところを、間違えて5七の角を動かしてしまったのだろうか...。
桂馬の利きに玉を逃げる
2003年の朝日オープン☗関浩五段ー☖田中寅彦九段戦
後手の田中寅彦九段が☖8五金と王手をした局面。☗同歩は☖8六金の一手詰めがあるので☗7七玉と引くしかないですが...。
「☗8七玉!」
何を思ったか、桂馬の利きに玉を逃げるポカ。関五段、「王手放置」の反則負けとなった。
馬の王手に馬筋に玉を逃げる
☗有吉道夫八段ー☖丸田祐三九段(1974年/名将戦)
先手矢倉対後手雁木の戦型で始まった将棋は、200手を超えて相入玉模様。201手目、先手の有吉八段が☗6三馬と王手を掛けた局面が問題図。☖3七玉でも☖4五銀でも後手玉はもう捕まらなそうに見えるが...。
「☖2七玉!」
馬の王手に対し、丸田九段は馬のラインに玉を逃げた。これに対し先手の有吉八段は反則に気づかず次の手を指したのですが、そこで丸田九段が自身の反則に気付き「負けです!(自分の)反則負けです!」
成桂を斜め後ろに引く=勝又清和五段
☗増田裕司四段対☖勝又清和五段戦(2000年/銀河戦)
角換わり腰掛け銀の中盤戦、先手の増田四段が☗8一角と打った局面で事件が起こった。
後手勝又五段の指し手は、4七の成桂で5六の金を取る「☖5六成桂!」
銀河戦はテレビ棋戦のため、対局に使用していた駒が一字掘りの書体だった。そのため、成桂を銀と勘違いしたのだろうか...?
角が相手の駒を飛び越える=菅井竜也七段
☗菅井竜也七段ー☖橋本崇載八段(2018年10月18日/順位戦)
菅井七段の先手中飛車で始まった将棋の終盤戦。☗3五角に☖7五飛と逃げた局面で事件が起きる。
先手の菅井七段は3分ほど考え、7九の角を銀取りに飛び出す「☗4六角!」を着手。
この手を見た橋本八段は反則に気づかず「うんうん」と頷き、☖5五銀打と銀取りを受ける一手を指した。ここで記録係が見かねて声をかけた。「あの、すいません...。その角はどこからきましたか?」
角が自分の駒を飛び越える=石橋幸緒女流王位
2009年の女流王位戦五番勝負第2局☗石橋幸緒女流王位ー☖清水市代女流二冠
先手が☗3一歩成と歩を成り捨てて☖同玉と取らせた局面。ここで先手の石橋女流王位が指した手が珍しい反則手だった...。
「☗2二角成!」
☖同飛は☗同金☖同玉☗2三飛以下の詰み。☖4一玉も☗3二馬☖同飛☗同金☖同玉☗4三角以下の詰みがある。
先手の勝ち?いいえ。よく見るとこの手、4四の歩を飛び越えている角を成っている。もちろん反則負けである。
女流棋戦のタイトル戦での反則負けということで、当時は大きな話題となった。
2五の馬を4八に動かす=木村義徳八段
1981年の順位戦B級1組☗青野照市七段ー☖木村義徳八段戦
先手の中段玉を寄せるべく、後手は2五の馬を活用したのだが...。
「☖4八馬!」
次に☖5八飛の詰めろを掛けますが...。馬のライン間違ってますけど!
自玉に王手をかける=植山悦之五段
☗植山悦之五段ー☖北村昌男八段戦(1991年/早指戦)
後手の北村八段が☖4四桂と打って金取りを受けた局面。ここで植山五段は後手玉のコビンを攻める軽手を放つが...。
「☗6四歩!」
竜の横利きを通し、後の☗8五竜の活用を見た軽手。ところがよく見ると、この瞬間後手の角のラインが通って先手玉に「逆王手!」が掛かっている。この場合ルール上、☖4七角成と取るよりも先に先手の「王手放置」による反則負けが適用される。
7八の駒を取って☗8七玉=糸谷哲郎四段
☗糸谷哲郎四段ー☖戸辺誠四段(2007年/竜王戦)
後手の戸辺四段が、☖7八金☗同飛☖同馬と攻めている局面。先手の応手はもちろん「☗7八同玉」の一手だが...。
糸谷四段はなんと、7八の馬を自分の駒台に置いて「☗8七玉!?」と指してしまった。本来なら☗7八玉と馬を取り、☖3八飛の王手に☗8七玉と指すつもりが、二手先の手を指してしまったのだという。
慣れない駒を成る=伊奈祐介四段
☗伊奈祐介四段ー☖中村修八段戦(2002年10月/王位戦)
☗7三角打、☗4三歩、☗3二銀。先手の伊奈四段が着々と後手玉の包囲網を張る。勝利目前の伊奈四段だったが、ここで信じられないポカが出る。
伊奈四段の指した手は「☗8六角成!」
自陣に馬を作って安全勝ちを....とはならず。成れない角を成ったとして反則負けとなった。
待った=加藤一二三九段
☗阿部隆八段ー☖加藤一二三九段(2005年/銀河戦)
先手が4七の玉を5八に引いた局面。ここで後手の加藤九段は☖3七桂成としたのですが...。
加藤九段は55秒...と秒を読まれ、一度「☖3七桂不成」と指した。駒から指を離し「チョンチョン」と桂馬を触り、その後(5秒ほど経った後)桂馬を裏返して「☖3七桂成」と着手したという。
この対局は銀河戦だったので、視聴者から「あれは"待った"ではないのか?」との声が寄せられた。これに対し連盟は対局の映像を確認したのち、あれは「待った」であると判断を下し当事者である加藤九段を反則負けとした。
成銀打ち=島朗八段
☗島朗八段ー☖丸山忠久八段(1998年/銀河戦)
後手丸山忠久八段が、5五の桂馬を4七に成った局面で事件が起こる。
島八段の指した手は、駒台から銀を裏向きに打つ「☗4二成銀打!」
駒台で裏返っている状態の「銀」を裏返ったまま、つまり成銀を打つという反則が起こった。
銀河戦で使われる駒が「一文字」という書体だったため、裏返った銀を「金」と勘違いして打ってしまったのだという。
四段目で歩を成る=沼春雄六段
2003年の王位戦予選☗岡崎洋五段ー☖沼春雄六段戦
先手の岡崎五段が6七の金で6六の金を取った局面。後手は☖6六同歩と取るのですが..。
「☖6六同歩成!」
なんと!成ることができない歩を成ってしまうという珍しい反則が起こった。
竜を裏返す=畑中ゆかりアマ
☗畑中ゆかりアマー☖久津知子女流初段(2015年/マイナビ女子)
先手の畑中アマが勝利目前の局面。☗2三同竜とすれば簡単な詰みだったが...。
「☗2三同竜成?」
4三の竜を、生の飛車と勘違いしたのだろうか。竜をひっくり返して着手してしまったのだ。勝利目前。惜しいところで反則負けとなってしまった。
その他の珍しい反則
連続王手の千日手
1999年に泉正樹七段が公式戦で「連続王手の千日手」をしてしまい、反則負けになったことがある。
俗に言う「千日王手」による反則負けはかなり珍しい事例で、女流棋戦を含めても過去に2例しか記録がない。
盤上の香車を持ち駒として使う
1974年の第1期女流名人戦挑戦者決定戦という大一番。関根紀代子女流二段が「盤上の香車を持ち駒として使う」という、謎の反則をやっている。
関根女流二段はその日風邪をひいており、ゆったりめのセーターを着ていたという。対局中、盤上右隅の香車がセーターの袖に引っ掛かって床に落下。拾った香車を自分の駒台に乗せ、持ち駒として盤上に打ったというエピソードが残っている。
☗5七歩がいるのに☗5六歩打
1982年に山口千嶺七段は「5七に自分の歩がある局面で、☗5六歩と打つ」二歩の反則をしている。
二歩の反則は公式戦でもしばしば起こるのでそれほど珍しくはないのですが、歩の上に歩を打つ「歩の重ね打ち」による反則は凄まじく珍しい。
山口七段の話によると「駒台の桂馬を打つつもりが、間違って歩を打ってしまった」らしい。