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【将棋400年の歴史】歴代永世名人〜初代大橋宗桂から羽生善治十九世名人まで〜

将棋界の頂点『永世名人』。それは、その時代において最強の者のみに与えられる偉大なる称号。大山康晴、中原誠、谷川浩司、羽生善治...。将棋界で永世名人の称号を持つ棋士は、一世名人初代大橋宗桂に始まり歴史上19人しか存在しません。

江戸時代の名人とはどのような人物であったのか。どんな将棋を指したのか。棋力は?実績は?謎に包まれた江戸時代の将棋指し『元祖名人』初代大橋宗桂から十九世名人羽生善治まで、将棋400年の歴史を振り返っていきます。

江戸時代の名人〜初代大橋宗桂から六代伊藤宗看まで〜

江戸時代の将棋の名人は、現代の実力制とは違い世襲制でした。大橋本家、大橋分家、伊藤家の中から優れた人材を名人に抜擢するのが慣わしとなっていた。

一世名人初代大橋宗桂に始まり、十世名人六代伊藤宗看までの10人の名人を見ていきましょう。

一世名人初代大橋宗桂【1612年襲位(58歳)】

初代大橋宗桂(1555年〜1634年)は大橋本家当主。1612年名人襲位(58歳)。一世名人。在位期間は1634年(80歳)死去まで終生名人。

将棋史の始祖、元祖名人の誕生

初代大橋宗桂は江戸幕府公認の日本で最初の将棋指し(棋士)。現代の将棋史上では初代大橋宗桂を一世名人と呼ぶ。将棋を生業とする最初の棋士であり、幕府から初めて俸禄(給料)を貰った1612年を名人襲位の年としている。

初代大橋宗桂はどんな人?

初代大橋宗桂は1555年の京都下京の生まれ。16世紀後半の京都は日本最大の都市であり、江戸の人口6万人に対して京都は30万人だったと言われる。京都は室町幕府が置かれていた場所であり将棋が盛んで、町衆の間にもある程度普及していたと思われる。中には『将棋の上手(じょうず)』と呼ばれる優れた将棋指しも何人か出ており、宗桂もその内の一人であった。

京都で有能な将棋師であった宗桂は、家康に呼ばれるほどの技術、人脈があり、1590年頃から20年以上に渡り家康に仕えていた。後にこの長きに渡る奉仕が幕府に認められ、俸禄を賜ることに繋がる。その後、名人と認められた宗桂は幕府お抱えの技芸師となった。

二世名人二代大橋宗古【1634年襲位〜1654年迄】

■1576年生まれ〜1654年没(79歳) ■1634年名人襲位(59歳)

二代大橋宗古は大橋本家の二代目当主。父である初代大橋宗桂が死去した後を継いで名人に就き、将棋のルールの統一化を行った。この時代は千日手や打ち歩詰めのルールが地域によっては曖昧で、明確化されていなかったと言う。

宗古の定めたルールは4つで、①二歩の禁、②千日手の禁、③動かせない場所に駒を打つことの禁、④打ち歩詰めの禁の4つ。現代でも厳格に守られている将棋の鉄則は、この時代に明確に取り決められたものなのだ。

三世名人初代伊藤宗看【1654年襲位〜1691年迄】

■1618年生まれ〜1694年没(74歳) ■1654年名人襲位(37歳)

初代伊藤宗看は伊藤家の初代当主。

師匠である大橋宗古の許しを得て、18歳の時に新たな家元となる伊藤家を創設した。

四世名人五代大橋宗桂【1691年襲位〜1713年迄】

■1636年生まれ〜1713年没(78歳) ■1691年名人襲位(56歳)

五代大橋宗桂は大橋本家の五代目当主。

伊藤家の出身で、元の名を伊藤宗銀と言う。初代伊藤宗看の子で伊藤家の後継者だったが、本家の断絶を救うべく29歳で大橋本家に入り大橋宗桂の名を継いだ。

五世名人二代伊藤宗印【1713年襲位〜1723年迄】

■1655年生まれ〜1723年没(69歳) ■1713年名人襲位(59歳)

二代伊藤宗印は伊藤家の二代目当主。

長男の印達は12歳で五段を認められた天才。次男の宗看は23歳で名人に就位する天才。五男の看寿は将棋図巧を創り上げた奇才。

六世名人三代大橋宗与【1723年襲位〜1728年迄】

■1648年生まれ〜1728年没(81歳) ■1723年名人襲位(76歳)

三代大橋宗与は大橋分家の三代目当主。

大橋分家出身では初の名人となった人物。歴代名人の中で史上最高齢76歳での名人襲位。

七世名人三代伊藤宗看【1728年襲位〜1761年迄】

■1706年生まれ〜1761年没(56歳) ■1728年名人襲位(23歳)

三代伊藤宗看は伊藤家の三代目当主。

江戸時代において最年少の23歳で名人に就いた逸材。九世名人六代大橋宗英、天野宗歩と並び『三尊』と称される大天才。江戸時代の名人の中では2番目の実力者だったと伝わる。

八世名人九代大橋宗桂【1789年襲位〜1799年迄】

■1744年生まれ〜1799年没(56歳) ■1789年名人襲位(46歳)

九代大橋宗桂は大橋本家の九代目当主。

大橋本家出身では4人目の名人。江戸時代の名人の中では4番目の実力者だったと伝わる。

九世名人六代大橋宗英【1799年襲位〜1809年迄】

■1756年生まれ〜1809年没(54歳) ■1799年名人襲位(44歳)

六代大橋宗英は大橋分家の六代目の当主。

幼少の頃から将棋の才能が抜群で、江戸時代の名人の中では最強と評される。将棋を組み立てる構想力、中盤の鋭さ、終盤の速度はどれをとっても一流。

十世名人六代伊藤宗看【1825年襲位〜1843年迄】

■1768年生まれ〜1843年没(76歳) ■1825年名人襲位(58歳)

六代伊藤宗看は伊藤家の六代目当主。

一世名人初代大橋宗桂から数えて十人目の名人で、江戸幕府最後の名人。江戸時代の名人の中では3番目の実力者だったと伝わる。

明治・大正時代の名人

十一世名人八代伊藤宗印【1879年襲位〜1893年迄】

■1826年生まれ〜1893年没(68歳) ■1879年名人襲位(54歳)

八代伊藤宗印は七代伊藤得寿の養子。江戸幕府の始まりから続く将棋家の出身者では最後の名人となった人物。名人を襲位したのは明治11年(1879年)。江戸幕府の終焉により新しい時代を迎えた中、文明開花の動きが高まる中で将棋界にも36年ぶりに名人が復活した。

将棋三家は江戸幕府崩壊の影響で給料と土地を失ったが、八代伊藤宗印はすぐに行動を起こした。大橋分家九代大橋宗与をはじめ、民間の強豪である大矢東吉、後の十二世名人小野五平、関澄伯理など在野派の強豪らと協力して棋界の統一に全力を注いだ。

十二世名人小野五平【1898年襲位(68歳)】

■1831年11月9日生まれ〜1921年1月29日死去(91歳) ■徳島県美馬市出身 ■1860年四段(30歳) ■1898年十二世名人襲位(68歳)

小野五平十二世名人はどんな人物?

小野五平十二世名人は、将棋三家の出身以外では初めて名人となった人物。江戸幕府の終焉によって将棋家の権威が無くなると、次期名人の座を狙うようになった。

小野名人は江戸時代の強豪の一人。31歳で四段、36歳で五段の段位で、50歳で八段に昇段した。明治時代に入ると福沢諭吉や森有礼など政財界の有力者を集めた『小野五平会』を結成。有力者からの後押しを受け、68歳で十二世名人を襲位しました。

【十三世名人】関根金次郎【1921年襲位(53歳)】

■1868年4月23日生まれ〜1946年3月12日死去(77歳) ■千葉県野田市出身 1891年四段(23歳) ■1921年十三世名人襲位(53歳)

関根金次郎十三世名人はどんな人物?

関根金次郎十三世名人は明治時代〜大正時代に活躍した棋士です。明治から大正初期の将棋界では東の関根金次郎、西の阪田三吉として人気を二分しました。

20代の頃は修行に明け暮れる日々を過ごし、37歳で八段に昇段。実質的に将棋界の第一人者となり将棋界を引っ張る立場となる。41歳の時には将棋界初の棋士団体『将棋同盟会』を結成するなど将棋界の発展に尽力しました。

小野五平十二世名人の死去後、後を継ぐ形として53歳で十三世名人を襲位。

実力制以降の永世名人

十四世名人木村義雄【1952年襲位(47歳)】

■1905年2月21日生まれ〜1986年11月17日死去(81歳) ■東京都墨田区出身 ■1952年十四世名人襲位(47歳)

木村義雄十四世名人はどんな人物?

木村義雄十四世名人は、大正時代から昭和初期に掛けて活躍した棋士です。戦前、戦中、戦後の将棋界では最強を誇り『常勝将軍』と呼ばれ恐れられていました。

対局観に明るく攻守にバランスの取れた手厚い棋風で、相掛かりを多用する居飛車党。現役晩年は角換わり腰掛け銀の研究に力を入れ、先手必勝の定跡として有名な『木村定跡』を開発しました。

棋歴概要

木村義雄十四世名人の四段昇段は15歳。22歳で最高段位の八段に昇段。30歳の時に将棋界初のタイトル棋戦となる名人戦が創設されると、13勝2敗の成績で優勝を飾り最初の実力制名人に就位しました。

名人戦では無類の強さを発揮して通算で8期の名人を獲得。名人が実力制になって以降最初の永世名人の誕生となった。

十五世名人大山康晴【1976年襲位(53歳)】

■1923年3月13日生まれ〜1992年7月26日死去(69歳) ■岡山県倉敷市出身 ■1976年十五世名人襲位(53歳)

大山康晴十五世名人ってどんな人?

大山康晴十五世名人は1940年から1992年まで現役として活躍した棋士です。強靭な受けが特徴の振り飛車党で、二枚腰とも称される指し回しで簡単に土俵を割らない強さがあった。

大山名人と言えば振り飛車党のイメージが強いのですが、33歳頃までは矢倉と相掛かりを主力とする居飛車党だったのだ。それが34歳頃を境に突然振り飛車を多用し始めると、40歳を過ぎた頃には完全な振り飛車党に転向していた。

振り飛車党に棋風を改造した理由は語られていないが、一説によると兄弟子の大野源一九段に勧められたのだとか...。

棋歴概要

大山名人の四段昇段は16歳の冬。順位戦ではA級2年目に好成績をあげ、25歳で塚田正夫名人に挑戦するも2勝4敗で敗退。27歳の時にも名人挑戦権を獲得したが、木村義雄名人に2勝4敗で敗退。初タイトルは27歳の時に獲得した九段位だった。

30代の終わり頃には王位戦と棋聖戦が新たにタイトル戦に加わり、タイトル棋戦は名人戦・十段戦・棋聖戦・王位戦・王将戦の5つになった。すると、すぐに5つのタイトルを全て独占し、39歳で将棋界史上初の五冠王を達成した。

通算成績は1433勝781敗。獲得タイトルは歴代2位の通算80期。

十六世名人中原誠【2007年襲位(60歳)】

■1947年9月2日生まれ ■宮城県塩釜市出身 ■2007年十六世名人襲位(60歳) ■通算成績は1308勝782敗(.626) ■獲得タイトルは通算64期

中原誠十六世名人はどんな人物?

中原名人は1965年から2009年まで現役で活躍していた棋士。名人位を通算で15期獲得するなど、1970年代から1980年代に掛けては最強を誇り一時代を築き上げました。

四間飛車を得意とする大山名人とは対照的に、中原名人は純粋な居飛車党で矢倉と相掛かりを得意とする。抜群の対局観と好手にバランスの良い棋風で、自然と駒が前進する手を好むことから『自然流』と称される。

20代前半の頃にとある先輩棋士に、将棋界は中原を中心に回っていると言う意味を込めて『若き太陽』と呼ばれていた。

棋歴概要

中原誠十六世名人の四段昇段は18歳(高校3年)の秋。大棋士の系譜にしてはやや遅いデビューでしたが、四段昇段後は凄まじい勢いで勝ちまくり20歳で初タイトルの棋聖を獲得しました。

順位戦では初参加から4期連続昇級と言う空前絶後のスピードでA級に到達。24歳で大山康晴名人(当時49歳)を降して棋界の頂点である名人の座に就きました。

名人獲得で三冠王、年度末に王将のタイトルを加えて四冠王になると、棋界の勢力図は完全に塗りかわり中原時代の到来を告げた。30歳の時には自身初、史上二人目となる五冠王を達成しました。

獲得タイトル通算64期。通算1308勝は歴代5位の記録。

【十七世名人】谷川浩司【2022年襲位(60歳)】

■1962年4月6日生まれ ■兵庫県神戸市出身 ■2022年十七世名人襲位(60歳) ■通算成績は1390勝928敗(.600)※2024年3月時点 ■獲得タイトルは通算27期

谷川浩司十七世名人はどんな人物?

谷川浩司十七世名人は1976年から2024年現在まで活躍を続ける現役の棋士。矢倉、相掛かり、角換わりを得意とする居飛車党。

全盛期の頃は終盤の感覚が飛び抜けており、その終盤術を称して『光速流』の異名を持っていた。時代による流行を積極的に取り言える傾向が強く、30代の頃には藤井システム、40代の頃にはゴキゲン中飛車を多用していた。

2009年のとある解説で『光速の寄せ、なくなっちゃったんで』と自虐していたが、60代を迎えた現在でも順位戦ではB級2組に在籍するなどその強さは健在である。

棋歴概要

谷川の四段昇段は14歳。中学生でプロになった棋士は歴史上谷川を含めて5人しかいないが、中学2年生でプロになったのは谷川と藤井聡太の二人のみ。

順位戦では初参加から2期目でC級1組へ昇級すると、そこから4期連続昇級を果たして20歳でA級に到達する。七番勝負では加藤名人を降して21歳で初タイトルの名人を獲得した。

21歳での名人獲得は当時の最年少記録。まるで漫画の主人公のような筋書きでトップ棋士の一人となり、その後は26歳で名人・王位・棋王の三冠王、29歳の時には竜王・棋聖・王位・王将の四冠王を達成した。

十八世名人森内俊之【2030年襲位(推定)】

■1970年10月10日生まれ ■神奈川県横浜市出身 ■2030年十八世名人襲位(60歳)※推定 ■通算成績は978勝622敗(.611)※2024年3月時点 ■獲得タイトルは通算12期

森内俊之十八世名人はどんな人物?

森内俊之九段は現在53歳の現役棋士。羽生世代と呼ばれる1970年生まれの棋士で、同い年のタイトル経験者に羽生善治九段、郷田真隆九段、丸山忠久九段、藤井猛九段がいる。

矢倉や相掛かりを得意とする居飛車党で、重厚な受けのイメージから鉄板流の異名を持つ。

順位戦・名人戦との相性が抜群で、2002年から2014年まで13年連続で名人戦七番勝負に登場している。

棋歴概要

森内のプロデビューは16歳。四段昇段後はいきなり新人王戦で優勝を果たし、順位戦ではわずか7期でA級まで昇り詰めた。

25歳の時に順位戦で好成績をあげタイトル初挑戦となるが、当時七冠制覇に向けて爆進していた羽生善治に敗北。その後は20代でタイトル戦に再び登場する機会はなかった。

初タイトルは31歳で獲得した名人位。この頃から森内は絶頂期を迎え、2004年には竜王・名人・王将の三冠王を達成した。大山康晴や羽生善治など一時代を築いた大名人には実績は遠く及ばないが、2007年にはライバルである羽生を追い越し、十八世名人の資格を獲得した。

十九世名人羽生善治【2030年襲位(推定)】

■1970年9月27日生まれ(53歳) ■埼玉県所沢市出身 ■2030年十九世名人襲位(60歳)※推定

羽生善治九段はどんな人?

羽生善治九段は現在53歳の現役棋士。将棋のルールを知らない人でも、その名前ぐらいは知っているであろう将棋界の有名人です。

全盛期の頃は『羽生マジック』と呼ばれる凄まじい終盤術を武器にタイトル戦の舞台で活躍。数々の大記録を残し続けてきたことから、将棋ファンの間では『生ける伝説』『史上最強の名人』と名高い。

最先端の定跡に明るく、矢倉、角換わり、相掛かり、横歩取り、一手損角換わりと、興味を持った戦型をなんでも指しこなす。相手の得意戦法を真っ向から受けて立つことから、王者の棋風と言われる。

棋歴概要

羽生善治九段の四段昇段は15歳(中学3年)の秋。史上3人目の中学生棋士としてデビューを飾り、19歳と言う若さで将棋界の最高峰である竜王位を手にした。

その後も棋王、王座、棋聖、王位と次々にタイトルを獲得。22歳で五冠王に輝くと、24歳で史上初の六冠王に到達。26歳の時には将棋界の全てのタイトルを独占する七冠全冠制覇の快挙を成し遂げた。

37歳で永世名人(十九世名人)の資格を獲得。47歳で永世竜王の資格を獲得。すでに自身で保持していた永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将、永世棋聖を合わせて永世七冠王の偉業を達成した。

通算成績は1560勝693敗(2024年3月時点での成績)。獲得したタイトルは通算99期。

【二十世名人】?

二十世名人の資格獲得に迫る現役棋士は、名人3期の実績がある渡辺明九段(40歳)と佐藤天彦九段(36歳)の二人だ。永世名人の資格を得るには名人位を通算で5期獲得することが条件なので、あと2期獲得することが条件となる。

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