将棋ファンのみなさんこんにちは!編集部のさめはだです。
相居飛車の王道と呼ばれた『矢倉』なんですが、最近めっきり人気がなくなっていることにお気付きでしょうか?
ここ数年の動向なので、知らない人も多いと思いますが、プロの将棋界では王道から完全に陥落しました!もうかなり人気ないです!
なんでだと思います?一言で言うと、『後手の急戦が手強い』ことが原因なんです。まあ、しばらくしたらまた人気が回復するかもですし...。(今のところ回復の兆しはなし!)
と言うわけで、今回のテーマは『矢倉』!相居飛車の主要戦法のひとつである『矢倉』について色々とまとめてみました!
【Chapter.01】矢倉の基礎知識
【矢倉の基礎知識(1)】『矢倉』とは?
『矢倉』とは、図のように金銀三枚で玉を囲う形の名称です。厳密に言うと『矢倉囲い』と呼ぶ方が正しいのですが、『囲い』を省略して単に『矢倉』と呼ぶ場合も多く、どちらの呼び方でも間違いではありません。
矢倉囲いの金銀の配置は図の形が基本形ですが、例えば図の局面に☗5七銀をくっ付けると『総矢倉』、6七の金を銀に代えると『銀矢倉』、6七の金を6八に引いた形を『へこみ矢倉』、☗9八香〜☗9九玉と穴熊に潜ると『矢倉穴熊』と呼ぶなど、少しの形の違いで名称が違うのもこの矢倉囲いぐらいでしょうか。他にも様々な矢倉が存在します。
【矢倉の基礎知識(2)】矢倉の正しい組み方
矢倉の組み方には、二通りの手順があります。具体的には、初手から☗7六歩☖8四歩☗6八銀☖3四歩(図)と進んだ局面で、5手目に『☗7七銀』と上がるか、『☗6六歩』と突くかの二通りの組み方があるのです。どう違うのかを一言で言うと、『どの急戦を警戒するか』と言う意味があります。どちらも同じと思うかも知れませんが、明確に違いがあるのです。
5手目☗6六歩型の矢倉
まずは5手目に☗6六歩と突く駒組みを見ていきます。5手目☗6六歩型は、後手からの『矢倉中飛車』の急戦に対して中央に強い意味があります。実際にプロの世界では、2000年頃から2015年までは☗6六歩型が主流でした。ところが現在この形は、後手の『左美濃急戦』に対して弱いと言う弱点が発覚し、全く指されなくなっています。
次の図は、5手目☗6六歩の局面から先手が自然に手を進めた局面です。まだまだ序盤の駒組みの段階ですが、すでに『後手良し』の局面と言われています。では先手は一体どこがまずかったのか?駒組みを見直すと、なんと5手目の☗6六歩が『6筋に争点を与える』と言う意味で『疑問手』と言うのが現在の結論となっています。
5手目☗7七銀型の矢倉
と言うわけで、現在は先手が矢倉を目指す場合、5手目に☗7七銀と上がる手が主流です。これならば、先程と同じように『左美濃急戦』で来られても、6五の地点が争点にならないので大丈夫です。では5手目☗7七銀は、なぜ15年もの間主流にならなかったのでしょう。ポイントは、後手からの急戦に対して対応し切れるかと言う点。数手進んだ局面を見てみましょう。
5手目が☗7七銀型の場合は、後手は薄い中央から動く『矢倉中飛車』に変化する作戦があります。先手の☗7七銀が早すぎることを逆手に取った形で、先手はこの変化を嫌って5手目に7七銀と上がる手を封印していたのです。では図の局面は後手良しなのかと言うと、そうでもないのです。現在は先手で矢倉を目指す場合、ほぼ100%の割合で☗7七銀型が選ばれています。
【矢倉の基礎知識(3)】『矢倉24手組み』
相矢倉では『矢倉24手組み』と呼ばれる基本の駒組みがあります。現代矢倉では、早めに2筋の歩を伸ばすことが主流なのであまり意味を成さなくなっていますが、1990年代から2015年頃までの矢倉戦では、これが矢倉の基本でした。ここで先手は☗3七銀(加藤流)が多く、時代によって☗4六角(脇システム)、☗3五歩(☗3五歩戦法)、☗6八角(森下システム)などが指されていました。
【矢倉の基礎知識(4)】急戦系の矢倉について
矢倉の戦型では、先手が本格的な矢倉囲いを目指すのに対して、後手が積極的に動いていく急戦系の作戦もあります。古くから指されている作戦としては『矢倉中飛車』『米長流急戦』『右四間飛車』などがあり、他にも『☖5三銀右急戦』や『左美濃急戦』なども急戦矢倉に分類されます。いつどんな急戦を仕掛けられても大丈夫なよう、頭に入れておきましょう。
後手の急戦矢倉(1)矢倉中飛車
古くからある後手番の急戦矢倉のひとつ『矢倉中飛車』。先手が5手目に☗7七銀と上がった手を見て、守りの薄い中央から動く急戦策です。矢倉中飛車に対する先手側のポイントは、角のラインは変えずに戦うことです。通常の矢倉では、玉を入城するために☗7九角と引いて使うのが一般的ですが、矢倉中飛車を相手にする場合は☗8八角型で戦います。
矢倉中飛車の定跡は結構シンプルで、お互いに平凡に手を進めると大体図のような局面に進みます。先手側のポイントは、一度☗7七銀と上がった銀を☗6八銀と引き戻したところです。純粋な手損ですが、戦場になる5筋を固めた意味があります。ここからは☖5四銀☗7九玉☖4四歩...と進むのが一例になります。
後手の急戦矢倉(2)米長流急戦矢倉
『米長流急戦矢倉』は、米長邦雄永世棋聖考案の後手番の急戦策です。図の局面が米長流の基本図とも言える局面で、2筋を守る銀を攻めに活用するのが米長流の骨子です。先手は2筋が薄くなったこの瞬間、☗2四歩☖同歩☗同角☖2三歩☗1五角と一歩交換をするのが定跡。☗1五角と端に角を引く手が珍しい手筋で、☖1四歩には☗2六角と引いて中央を狙えるのが好位置になります。
米長流急戦矢倉に対して定跡化された端角。後に☗2六角や☗3七角と引いて逆サイドを睨むのが好位置となります。後手はこれ以上自陣が堅くならないので仕掛けを考えたい局面で、☖5五歩と☖6五歩を組み合わせて中央から動いていきます。
後手の急戦矢倉(3)右四間飛車
アマチュアに人気がある、と言われる破壊力抜群の『右四間飛車』の急戦。図で先手は☗4六銀と上がり、攻めの姿勢を見せるのが部分的な定跡です。後手としては、先手が☗4六銀と動いた瞬間に薄くなった6筋から仕掛けるのがタイミングで、☖6五歩☗5七銀上☖6六歩☗同銀と進むのが定跡となっています。
後手の急戦矢倉(4)☖5三銀右急戦
☖5三銀右と上がり、☖5五歩☗同歩☖同角と積極的に動いていくのが、後手番の急戦矢倉の中では比較的新しい作戦と言える『☖5三銀右急戦』と呼ばれる作戦です。2000年代に阿久津主税八段が指していたことから『阿久津流』、また、2008年の竜王戦七番勝負で渡辺明竜王が多用して注目を集めたことから『渡辺流』とも呼ばれる。
☖5五歩☗同歩☖同角と5筋で動いた後、☗7九角☖7三角☗4六角☖6四銀と進むのが、この戦型ではよくある定跡です。この☖5三銀右急戦は、急戦と呼ばれる割にはっきりした狙いがあるわけではなく、他の急戦矢倉に比べると比較的穏やかな作戦に分類できる。
【Chapter.02】初心者でもわかる矢倉の歴史
矢倉の歴史は古く、江戸時代の初期1600年代の棋譜にはすでに矢倉の将棋が多く見られる。この当時の相居飛車の将棋では、矢倉と雁木の人気が同じぐらいだったようで、『矢倉対雁木』の将棋も多く見られます。
江戸時代の矢倉戦法(1725年)
それでは矢倉の歴史を振り返るため、江戸時代に指された実際の将棋を見てみましょう。上の図は1725年11月17日に江戸城で指された☗三代伊藤宗看(20歳)と☖四代大橋宗与(17歳)の将棋です。当時の相居飛車戦では『矢倉対雁木』の将棋が一般的であり、丁寧な駒組みは教科書通りの将棋と言う印象を受ける。
相掛かりの時代から矢倉の時代へ(1947年)
プロの間で、矢倉の将棋が流行するのは1940年代になってからでした。中原誠、米長邦雄、加藤一二三、二上達也、昭和を代表する棋士は皆矢倉を得意としていますが、1940年代までは矢倉を指す棋士はあまりいなかったのです。と言うのも、当時の矢倉の評価は、5手目に☗7七銀(図)と上がる手が『角道を止めて先手の得を消して損』と言う考えが主流だったためです。
実際に、昭和初期のトップ棋士木村義雄名人は、相掛かり戦法を得意とされていて、矢倉の将棋はほとんど指していませんでした。この矢倉の評価が見直され始めたのは、塚田正夫八段が1947年の名人戦で、5手目☗7七銀のオープニングを多用したことがきっかけと言われています。
昭和の矢倉『四手角戦法』(1974年)
図は1974年2月の王将戦第5局☗米長邦雄棋聖(30歳)ー☖中原誠王将(26歳)戦です。昭和40年代〜50年代に掛けての相矢倉の戦型では、図の『四手角』と呼ばれる攻撃形がよく指されていました。四手角の狙いは単純で、この後☖6二飛〜☖7三桂と進めて6筋を争点に攻め掛かります。
攻撃力が抜群の四手角でしたが、組み上がるまでに手数が掛かりすぎるのが欠点でした。後に『雀刺し』と相性が悪いことが原因で下火になってしまいました。
昭和50年代の基本図『矢倉24手組』(1976年)
昭和50年代の矢倉の駒組みでは、図の『24手組』と呼ばれる局面が矢倉の基本図と考えられるようになります。次の25手目が先手にとって最初の分岐点で、『最善手を発見した者は、次の名人になる』と言われていたそうだ。候補手には☗3七銀、☗1六歩、☗6七金右、☗4六角、☗3五歩など選択肢が非常に多い局面である。
昭和50年代の流行型『名人戦の雀刺し』(1979年)
矢倉24手組の基本図からは、1筋を集中砲火する破壊力抜群の作戦である『雀刺し』が流行します。図は1979年の名人戦第6局☗米長邦雄棋王ー☖中原誠名人の将棋で、この年の名人戦は『雀刺しシリーズ』と呼ばれるほど雀刺しの戦型が多く出現し、第1局、第2局、第3局、第5局で雀刺しの将棋になった。
『加藤流☗3七銀戦法』(1980年)
矢倉の戦型では雀指しが流行する中、加藤一二三九段がこだわり続ける『加藤流』と呼ばれる指し方もある。図は1980年の十段戦第5局☗加藤一二三九段ー☖中原誠名人の将棋で、先手の駒組みが『加藤流☗3七銀戦法』の基本形です。先手は攻めの態度を決めず、相手の出方によって☗4六銀や☗3八飛、☗1七香など、柔軟に対応するのが加藤流の骨子です。
『飛車先不突き矢倉』が主流に(1988年)
矢倉の飛車先の歩を突くタイミングは、時代によって考え方が異なります。昭和の前半では早めに☗2五歩を決めて、飛車の活用を図るのが基本でした。その後は☗2五桂の余地を残す☗2六歩型が優秀だと判明し、歩をひとつだけ突く☗2六歩型が主流になります。そして、飛車先の歩は後回しにして他の手を優先した方が良い、と考えたのが序盤のエジソン田中寅彦九段でした。
矢倉森下システムの登場(1990年)
昭和が終わり平成が始まる頃の将棋界は、19歳の若きスター羽生善治新竜王の誕生が大きな話題となっていました。羽生世代を始めとした有望な若手棋士が続々とプロデビューする中で、将来はタイトル獲得が確実と目される森下卓六段(24歳)が研究開発した最新の序盤戦術『森下システム』が公式戦に登場しました。
矢倉☗4六銀戦法の時代(1994年〜)
『雀刺し』『加藤流』『森下システム』、矢倉の定跡は時代と共に進化を続けてきました。そして、次に辿り着いた先手の攻撃型が『☗4六銀戦法』でした。☗4六銀戦法の基本図は、☗4六銀・☗3七桂・☗3八飛と攻め駒を配置した図の局面です。飛車・角・銀・桂・香、全てを攻めに参加させる非常に攻撃的で効率の良い布陣で、後手陣の攻略を目指します。
宮田新手☗6五歩の登場(2002年)
☗4六銀戦法の流行期は長く、相矢倉の重要テーマとして常に指され続けている。このテーマでは、2002年に宮田敦史四段(当時20歳)が指した『宮田新手』と呼ばれる定跡が『目から鱗』の新手で、当時はかなり研究されていた印象があります。ちなみにこの局面、従来の定跡は☗2五桂でしたが、☖4五歩と突かれて『先手苦戦』と思われていた。
永世竜王を賭けた☖5三銀右急戦(2008年)
2008年度の竜王戦七番勝負は、渡辺明竜王に羽生善治名人が挑戦したシリーズ。勝者が永世竜王を獲得すると言う空前絶後の戦いは、開幕前から大きな注目を集めました。七番勝負は羽生名人が開幕から3連勝したものの、第4局、第5局と落として3勝2敗に。依然として後がない渡辺竜王が第6局、第7局と後手番で用意した切り札がこの『☖5三銀右急戦』でした。
矢倉版の藤井システム(2009年)
藤井猛九段創案の『藤井システム』は、ご存知の通り四間飛車の戦法ですが、矢倉の定跡にも『藤井システム』があるのです。と言っても、四間飛車の藤井システムのように居玉のまま戦うわけではなく、玉はしっかりと囲います。図の先手側が『矢倉版藤井システム』の基本形。普通の矢倉囲いと比べると、玉の位置が少し違うのが特徴で、『角交換に強い』と言うメリットがある。
☗4六銀戦法の終着点『91手定跡』(2012年)
『矢倉☗4六銀戦法』は、相矢倉の戦型の重要なテーマとして20年以上に渡って多くの実戦と研究が積み重ねられました。その結果、初手から91手目までが定跡化された『91手定跡』と呼ばれる途轍もない定跡が誕生しました。図の☗8一飛成の局面がその『91手定跡』の91手目の局面。すでに最終盤だが、公式戦での実戦例が4局存在している。その全てが2012年の秋に集中しており、結果は先手の4戦全勝となっている。
名人戦のポナンザ新手(2013年)
復活した☖4五歩反発型定跡(2013年)
☗4六銀戦法が矢倉の重要なテーマとして研究が進む中、☗4六銀戦法そのものを根底から否定する重大な出来事が起こります。それが、図の☖4五歩と反発する手が実は成立しているのではないか、と言う新研究が出たのです。これが何を意味するのかと言うと、この手が成立すると、先手はそもそも☗4六銀戦法を指せなくなり、これまでの定跡が全て否定されることを意味します。
対矢倉『左美濃急戦』の登場(2015年)
2015年のとある将棋で、矢倉の5手目☗6六歩を消滅させることになる革新的な新構想『左美濃急戦』が登場しました。先手の矢倉に対して、後手は美濃囲いに組んで☖6五歩と仕掛けるのが作戦の主眼。後手番で主導権を握れる攻撃的な作戦で、結局先手はこの『左美濃』急戦に対する対策が見つからず、5手目に☗6六歩と突く手を疑問手と認めざるを得ませんでした。
公式戦の1号局で、後手を持っていたのは千田翔太五段(21歳)。2号局で阿部光瑠五段が森内俊之九段を一方的に攻め倒した将棋が一躍注目を浴び、有力な作戦として認識されることになった。
矢倉に代わる新型雁木の流行(2017年)
2017年頃には相矢倉の戦型で雁木囲いに組む作戦が流行した。この時期から急速に普及してきたコンピューター将棋ソフトの影響によるもので、旧来の☖5三銀型の雁木囲いと違い、☖6三銀型の『ツノ銀雁木』である。最新の将棋ソフトは堅さよりもバランスを重要視する傾向が強く、駒が片寄る矢倉よりも雁木を評価するという。
見直された同型矢倉『脇システム』(2020年)
先手はこれまでエース戦法であった☗4六銀戦法を目指せなくなると、代わりに同型矢倉『脇システム』の定跡に注目します。これまでは大きな流行がなく、年に数局指される程度の戦型でしたが、2020年度にはタイトル戦に3度も登場するなどして、注目の高さが伺えます。
AI時代の象徴☖6五桂急戦(2020年)
様々ある後手番の急戦策の中でも、この『☖6五桂急戦』は際立って異質に見える。奇襲にも見える仕掛けですが、タイトル戦の舞台でも指された本格的な作戦なのである。上の図は2020年10月の竜王戦第1局☗羽生善治九段ー☖豊島将之竜王戦で実際に現れた局面。昔の棋士が見たら『桂馬の高跳び歩の餌食』と言われそうだが、コレ、最新の将棋AIが示す有力な仕掛けだと言う。
令和の急戦矢倉の基本図(2020年)
平成の終わり頃からか、後手番の矢倉は急戦策が目立つようになった。色々な急戦が試された結果、2020年以降は☖6三銀型が重要なテーマ図として研究が進められている。後手の主張は『角道を通したまま戦う』ことにある。2筋の歩交換はどうぞお好きに。玉を2二の地点まで深く囲う本格的な矢倉は採用数が減ってきている。
現代矢倉の最前線(2022年)
2024年の秋。将棋界では引き続き『角換わり腰掛け銀』の研究将棋が熾烈を極める中、公式戦では相変わらず矢倉の人気が低い。積極的に矢倉を採用するトップ棋士は、渡辺明九段ぐらいであろうか。図は2022年3月棋王戦第4局☗渡辺明棋王ー☖永瀬拓矢王座戦。近年は先手が矢倉を目指しても、後手が矢倉に組まないのが常識となっている。
【Chapter.03】矢倉☗4六銀戦法の定跡
続きまして、矢倉の定跡を『☗4六銀戦法の定跡』『急戦矢倉の定跡』『持久戦系の定跡』『最新の矢倉定跡』の4つのパートに分けて紹介していきます。まずは、矢倉の王道と呼ばれた『☗4六銀戦法』の定跡を見ていきましょう。
矢倉☗4六銀戦法の基本図
『矢倉☗4六銀戦法』は、1993年から2013年頃まで相矢倉の主流戦法として指されていた定跡です。相矢倉の戦型の中でも花形戦法として、『羽生ー森内戦』などの数々のタイトル戦でも登場しました。この戦型で重要なテーマは『宮田新手』『矢倉穴熊』『☖4五歩反発型』の3つです。それぞれ順番に見ていきましょう。
初期の定跡『☗2五桂型』
☗4六銀戦法の初期の頃の定跡では、☗2五桂(図)の局面が重要なテーマ図でした。公式戦では1989年頃に指されていた定跡で、図以下☖4五歩☗同銀☖1九角成☗4六角☖同馬☗同歩☖5九角...と進んで、後手有利と言うのが現在の結論です。
平成初期の流行形『☗5八飛車戦法』
☗4六銀戦法の定跡では、1995年から1998年頃に掛けて、図の☗5八飛型がよく指されていました。この手の狙いは、5筋で歩を一枚手に入れることで、攻めの幅を広げる意味がある。この局面で後手は☖6四銀や☖4五歩など、様々な対策を捻り出しましたが苦戦。紆余曲折を経て、☖8五歩☗5五歩☖同歩☗同銀に☖5二飛で後手良しと言う結論に辿り着いた。
常識を覆す☗6五歩『宮田新手』
すぐに☗2五桂はダメ、☗5八飛もダメ。他に☗5七角や☗9八香も試されましたが微妙...。そんな中、2002年に☗6五歩と言う新手が出ます。最初に指したのは宮田敦史四段なので、『宮田新手』と呼ばれる定跡。すぐに☖6四歩と反発される手が見え見えなだけに抵抗感のある手ですが、先手にとってとても有力であることが判明します。
新しい先手のテーマ図『矢倉穴熊』
☗4六銀戦法の定跡は、後手の8筋、9筋の歩の形によって、先手の有効手が違ってきます。具体的には☖8四歩+☖9五歩型には宮田新手が有力。☖8五歩+☖9四歩型には矢倉穴熊が有力となります。意味を説明すると、後手から☖9三桂〜☖8五桂の活用ができない☖8五歩型には、穴熊に組みやすいと言う理由がある。
☖4五歩反発型
この手が成立するなら、そもそも先手の☗4六銀戦法は成立しない、という根幹に関わる仕掛け。1993年の佐藤康光ー森内俊之戦で『先手有利』の結論が出て以降研究が終わっていたが、20年後の2013年に塚田泰明九段によってその結論が覆されたと言う歴史がある。現在は『後手良し』という結論に変わっており、事実的に先手は☗4六銀戦法を指すことが不可能となったことを意味する。
【Chapter.04】急戦矢倉の定跡
【急戦矢倉:No.01】矢倉中飛車
先手が5手目に☗7七銀型の駒組みの場合にのみ採用可能な後手番の急戦。手薄な5筋で動くのは理にかなっているとも言える。急戦矢倉全般に言えることだが守備力が低いのが欠点。先手も金銀四枚の堅陣なので簡単に潰れることはなく、ジリジリとした中盤戦になる。
【急戦矢倉:No.02】米長流急戦矢倉
米長邦雄永世棋聖が得意としていた急戦矢倉。1980年代頃によく指されていたが、先手に決定版とも言える対策が発見されたため下火に。しばらく指されていなかったが2020年に先手番米長流急戦矢倉としてタイトル戦で指されるなど復活を果たす。
【急戦矢倉:No.03】中原流急戦矢倉
中原流急戦矢倉は中原誠十六世名人が得意としていた後手番の戦法。1988年〜1992年に掛けて自身が公式戦で多用していた作戦で、名人戦や棋聖戦などのタイトル戦の舞台でも採用していた。40歳を過ぎた頃から中原名人は棋風を改造していたことは有名な話。他に相掛かりの☗3七銀戦法や横歩取りの中原囲いなども開発している。
【急戦矢倉:No.04】矢倉右四間飛車
攻撃力抜群の右四間飛車は油断しているといっぺんに潰される。狙いが単調なのでプロは好まないが、アマチュアには人気がある。公式戦では1980年代に加藤一二三九段などによって指されていたが次第に下火に。後手は美濃囲い型と、☖3二金・☖4二銀型の2パターンがある。
【急戦矢倉:定跡No.05】原始棒銀
原始的な単純棒銀で初心者が指すような作戦であるが、かつてタイトル戦の舞台で指されたこともある由緒正しい作戦。1980年代には公式戦でも度々指されていたが、狙いが単純で工夫の仕様がないので次第に下火に。先手は☗7九角〜☗6八角と棒銀を捌かせないように指すのが最善。
【急戦矢倉:定跡No.06】☖5三銀右急戦矢倉
2008年の竜王戦七番勝負で渡辺明竜王が二度採用したことで注目を浴びた急戦矢倉。2008年から2013年頃まで流行した戦型で、渡辺明九段が得意としていた戦型でもある。阿久津主税八段が多用していたことから阿久津流急戦矢倉とも呼ばれる。
【急戦矢倉:定跡No.07】対矢倉左美濃急戦
2015年に公式戦に初登場した左美濃急戦と呼ばれる作戦。軽い仕掛けながら攻撃力が抜群で、先手が受け切るのは容易ではないと結論付けられている。注意すべきは守備力の低さで、☗1五桂や☗2六桂と反撃されると脆い。
【Chapter.05】持久戦系の矢倉
【相矢倉:定跡No.01】加藤流☗3七銀戦法
『☗3七銀戦法』は加藤一二三九段愛用の作戦です。先手はこの後☗1六歩〜☗1五歩と1筋の端を詰めて、☗1七香〜☗1八飛の雀刺しや、☗4六銀☗3七桂型を目指すなど様々な指し方がある。☗4六銀戦法ほど流行した時期はありませんが、50年以上にわたってコンスタントに指され続ける矢倉の重要なテーマです。
【相矢倉:定跡No.02】矢倉脇システム
脇謙二八段創案の同型矢倉『脇システム』。1990年代前半に脇八段がよく指していた定跡です。歴史的に見ると、脇システムが流行するのは登場から30年が経った2020年頃になる。なぜ30年も経った頃に?と思われるでしょうが、事情により☗4六銀戦法に組めなくなった先手が、脇システムに活路を見出そうとしていたと言う理由がある。
【相矢倉:定跡No.03】矢倉森下システム
森下卓九段考案の『森下システム』と呼ばれる定跡。公式戦では1991年から1993年に掛けて流行しました。加藤流☗3七銀戦法との違いは、攻めの形を決めずに入城を急いでいるところ。つまり、相手の手を見てから自分の手を決めたい、と言う思想で、☗3七銀と上がるか☗3七桂と跳ねるか、後から決められる意味があります。
【相矢倉:定跡No.04】藤井流早囲い
矢倉の『早囲い』とは、☗7八金の一手を省略して玉の移動を優先する指し方です。こうすることで、通常よりも矢倉囲いが1手早く完成するのです。通常の早囲いは8八まで玉を移動するのですが、藤井猛九段の『藤井流早囲い』は、図から☗4六角〜☗6八金上と『片矢倉』に組み上げて完成となります。
【相矢倉:定跡No.05】現代流土居矢倉
玉の堅さよりも『陣形全体のバランス』を重要視するようになったのは、AI時代の象徴とも言える。矢倉の戦型でもこの考え方は例外ではなく、図の矢倉と言えるかどうか怪しい戦法が指されるようにもなりました。奇妙な陣形の先手陣ですが、実は大正時代に活躍した土居市太郎名誉名人が指していて『土居矢倉』の名がある。
【Chapter.06】最新の矢倉定跡
【最新の矢倉:No.01】☖早繰り銀急戦
2019年の王座戦第3局☗永瀬拓矢叡王ー☖斎藤慎太郎王座戦。2017年頃から2020年頃にかけて流行した☖7三銀急戦。従来の常識では矢倉の堅陣を早繰り銀の攻めだけで攻略することは不可能とされていたのですが、コンピューター将棋ソフトの影響で流行。
☖6五桂速攻
2020年の竜王戦第1局☗羽生善治九段ー☖豊島将之竜王戦。角換わり腰掛け銀ではおなじみとなっている、いわゆる『桂ポン』。こちらもコンピュータ将棋ソフトの影響で2017年頃から指されるようになった仕掛けである。先手の銀が逃げれば飛車先の歩を交換できるが、ここで☗2四歩は気になる。
矢倉対☖中住まい
2022年の棋王戦第4局☗渡辺明棋王ー☖永瀬拓矢王座戦。後手の陣形は相掛かり戦ではよく見かけるバランスのよい中住まい。2021年頃に出現した新しい指し方で、相矢倉の戦型では非常に珍しい構想である。先手は☗4六銀〜☗3五歩とわかりやすい攻めがあるのに対し、後手の攻めはは飛車角桂の3枚が主役。